邦楽

米津玄師の灰色と青の歌詞やタイトルの意味考察

2017年にリリースされた米津玄師の「灰色と青」。

人気俳優の菅田将暉とのコラボが大きな話題になったドラマチックな一曲です。

今回は米津玄師の「灰色と青」の歌詞やタイトルの意味考察してみました。

 

米津玄師の灰色と青とは

  • 発売日:2017年11月1日
  • 作詞・作曲:米津玄師

 

「灰色と青」は、米津玄師のメジャー3rdアルバム「BOOTLEG」のラストを飾る14曲目に収録されています。

アルバムのリリースに先駆けて2017年10月10日に「『BOOTLEG』全曲最速先行試聴会」が開催され、そこで初めて菅田将暉さんとのコラボが発表されました。

そのタイミングで「灰色と青」が先行配信され、YouTubeにMVがアップされました。

また、「灰色と青」は2018年3月21日にリリースされた菅田将暉さんの1stアルバムにも収録されています。

 

「灰色と青」はまさしく菅田将暉さんとのコラボありきで制作された楽曲で、一部だけ完成していたのを菅田さんとのコラボ決定後に1週間で作り上げたそうです。

MVでの2人の感じやコラボしたことからてっきり以前から交流があったのかと思いきや、米津さんからのオファーの際に会ったのが初対面でした。

そして、2回目に会ったときにレコーディングとMVの撮影までしているんですが、とてもそうは思えない素晴らしいクオリティに仕上がっています。

そのレコーディング風景もYouTubeで公開されているんですが、どう見ても以前から友人だったようにしか見えない2人の空気感。

お互いに親交のあるカメラマンの中野敬久さんを介して初めての打ち合わせ兼食事会がセッティングされたそうですが、そこですっかり意気投合したんだろうなというのが見て取れます。

楽曲を制作しているのは米津さんですが、菅田さんのボーカリストとしての表現力が素晴らしく、この2人だからこその楽曲に仕上がっています。

 

灰色と青のセールスや評価

楽曲が収録されているアルバム「BOOTLEG」はオリコンで最高1位、Billboard JAPANで最高1位、iTunesのランキングでも最高1位を記録しています。

お茶の間にまで広く知れ渡ったのは2018年の「Lemon」のタイミングですが、邦楽ロックアーティストとしては「BOOTLEG」のときに一つの頂点を極めたような感がありました。

菅田将暉コラボも「まさか」といった感じで米津ファンはもちろん、新たなリスナーにも注目されるきっかけとなりました。

 

先行配信された「灰色と青」は大きな話題となり、Billboard Japan Hot 100では初登場3位を記録し、日本レコード協会でプラチナ認定されています。

YouTubeにアップされているMVは公開から1日で100万回再生、2017年11月には1000万回再生、2019年2月現在では9600万回再生と1億回に迫るところまで来ています。

米津さんのYouTubeチャンネル内では5番目に再生数が多い動画となっています。

灰色と青全体のテーマ

この曲のテーマは「幼少時代を共にした友人同士が、大人になりすれ違う日々の中で、離れていても奇跡的に重なる瞬間」。

幼少時代に仲が良かった友人も大人になった頃にはほとんどの人と交流がなくなっていると思います。

幼少時代というとおそらく小学生頃でしょうか。

 

中学、高校、大学と、どんどん新しい出会いがあり、そんな最中にいると小学生の頃の遠い記憶なんてあまり振り返りません。

でもいよいよ学生を卒業し地元を離れて社会に出てみると、今まで経験したことがないような困難が立ちはだかることがあります。

 

「逃げ出したい」という気持ちと共に蘇るのは、受験勉強も就職活動もなくただただ毎日楽しく遊びまわっていただけの小学生の頃の記憶。

「あいつ今頃何してるんだろう」とそのときの親友のことを久しぶりに思い返します。

 

それは相手も同じで、2人は同じタイミングで同じようにお互いのことを思っていました。

住んでいる場所は違っても、相手のことを思って明け方の空をぼーっと眺めていたり、同じように一人公園に佇んでいたり。

 

“離れていても奇跡的に重なる瞬間”というのは、そんな2人の状況や想いのことでしょう。

そのイメージはMVでも表現されていますが、同年代の米津玄師と菅田将暉というのがまたハマります。

 

タイトルの「灰色と青」というのが後なのか先なのかはわかりませんが、灰色=米津玄師、青=菅田将暉、ということだと思います。

どちらかというとダークな世界観を持っている米津さんは”灰色”っぽいですし、純粋でまっすぐなイメージのある菅田さんは”青”っぽいです。

心をすり減らしてしまった現在を”灰色”、幼少・青春時代の楽しかった過去を”青”ともイメージすることができます。

ただただ楽しかったあの頃を振り返って心を癒しながらまた現実へ向かっていく、という大人になりはじめた青年の心情を歌った曲だと思います。

灰色と青の歌詞の意味を考察

 

1コーラス目 Aメロ

袖丈が覚束(おぼつかない)ない夏の終わり

明け方の電車に揺られて思い出した

懐かしいあの風景

たくさんの遠回りを繰り返して

同じような街並みがただ通り過ぎた

窓に僕が映ってる

米津さんのパートで、”灰色”のイメージの人物の心情が綴られます。

幼少時代であることを”袖丈が覚束(おぼつかない)ない夏の終わり”という言葉で表現しています。

イメージ的には夏休みの終わり頃でしょうか。

そんな幼少時代の記憶を明け方の電車の中で思い返しています。

“明け方”というのは仕事の徹夜明けだったり、疲れ果てた状況をイメージさせます。

ぼーっと窓に映る自分を見ているところからもそれが感じられます。

“たくさんの遠回りを繰り返して”、”同じような街並みがただ通り過ぎた”という言葉は、幼少時代からの時間の経過とそれまでの人生経験を表しています。

どこか切ない表現に感じられるので、そんなたくさんの経験もこのときはあまりプラスに捉えられていないのかもしれません。

 

1コーラス目 Bメロ

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか

ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った

馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血

今はなんだかひどく虚しい

幼少時代に仲の良かった友人や、その友人と一緒に遊んだときのことを思い返しています。

本来なら心が温まるような記憶ですが、”ひどく虚しく”感じています。

「あのときはあんなに楽しかったのに今はどうだ」と、今の状況とあまりにもかけ離れているから虚しく感じるのかもしれません。

“なんだか”という言葉を付け加えることで、「決して絶望的というほどではないけど、それにしても疲れてしまった」というような絶妙なニュアンスが表現されていると思います。

 

1コーラス目 サビ

どれだけ背丈が変わろうとも

変わらない何かがありますように

くだらない面影に励まされ

今も歌う今も歌う今も歌う

“背丈が変わる”という言葉で年齢的な成長を表現しています。

“変わらない何か”というのは色々な意味が込められています。

楽しかった幼少期に比べて何の楽しみも見いだせない今があるので、何かしら前向きになれるような出来事だったり、目標や夢だったり、そんな”何か”を欲しています。

ただ、そんな幼少期の記憶を思い返すことで少し気持ちも和むものですが、それが”くだらない面影に励まされ”という言葉で表現されています。

何かが解決されるわけではないけど、少し心が癒されてまたゆっくりと前を向くことができます。

実際に歌うかどうかは別として、また現実に向かっていく姿を”歌う”という言葉で表しています。

 

2コーラス目 Aメロ

忙(せわ)しなく街を走るタクシーに

ぼんやりと背負われたままくしゃみをした

窓の外を眺める

心から震えたあの瞬間に

もう一度出会えたらいいと強く思う

忘れることはないんだ

ここから菅田さんのパートとなりますが、今度は先ほど登場した幼少期の友人で”青”のイメージの人物の心情が綴られます。

“タクシーに背負われた”というのはタクシーに乗っているということだと思いますが、”忙(せわ)しなく”という言葉があるので、この人物も同じように仕事で忙しい日々を送っているようです。

誰かが自分のことを噂しているとくしゃみをするという迷信がありますが、友人が自分のことを思い返しているという状況が表現されています。

恐らくお互いのことを思い返したのは同じタイミングだったんでしょう。

まさに奇跡的な瞬間です。

“心から震えた瞬間”、”もう一度出会えたら”と、この人物も幼少期の記憶をポジティブとしてイメージで思い返しています。

 

2コーラス目 Bメロ

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか

靴を片方茂みに落として探し回った

「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と

無邪気に笑えた 日々を憶えている

幼少期の記憶を具体的に思い返していきます。

“「僕らはきっと上手くいく」と無邪気に笑えた”と感じているということは、今は決して上手くいっているとは言えないような状況なんでしょう。

ただ、灰色の人物ほどは疲弊していないようで、その精神状態も”灰色”より”青”に近いのかなともイメージできます。

 

2コーラス目 サビ

どれだけ無様に傷つこうとも

終わらない毎日に花束を

くだらない面影を追いかけて

今も歌う今も歌う今も歌う

“何かがありますように”だった先ほどのサビよりももう少し前向きな心情が綴られているようです。

“花束を”というのは「自分を自分で褒める」ということだったり、「肯定的に捉える」という意味が込められているんだと思います。

仕事で失敗することもあるでしょうし、プライベートでも良くないことが起こったりするでしょう。

そんな”無様に傷つく”ような出来事も自分の糧となって先へ繋がっていくんだと肯定的に捉え、そしてまた前へ進んでいこうという気持ちが表現されています。

 

Cメロ1

朝日が昇る前の欠けた月を

君もどこかで見ているかな

何故か訳もないのに胸が痛くて

滲む顔 霞む色

ここからまた米津さんの”灰色”のパートになります。

「今この瞬間、君もどこかにいるはずだ」と思いを馳せています。

“滲む顔”、”霞む色”というのは涙を流している表現だと思います。

幼少期の記憶が素晴らしかったからこそ今の現実のつらさが余計に身に沁みますし、そんな過去の記憶をとても恋しく感じるでしょう。

“何故か訳もないのに”と「この感情をうまく説明できないけど何故か涙が流れてしまう」という状況が表現されています。

 

3コーラス目 サビ1

今更悲しいと叫ぶには

あまりに全てが遅すぎたかな

もう一度初めから歩けるなら

すれ違うように君に会いたい

引き続き米津さんのパートです。

“悲しいと叫ぶ”と、やはり”灰色”の心情はどこか悲し気に感じます。

“今更悲しいと叫ぶにはあまりに全てが遅すぎたかな”、”もう一度初めから歩けるなら”というのは、あの頃に戻って「今の俺は悲しいんだ」と伝えて励まして欲しいという気持ちが表れています。

“灰色”は”青”に比べて精神的に弱っているように感じますが、もしかしたら当時からそういう関係性だったのかもしれません。

“青”は頼りになる存在で、いつも”灰色”を励ましていたのかもしれません。

今再び”君に会いたい”と思っているものの、”すれ違うように”という表現がされています。

連絡先も知らなかったり、遠い場所に住んでいたり、簡単に会うことはできない状況なんでしょう。

“すれ違う”という言葉にそんな儚さが表れています。

 

3コーラス目 サビ2

どれだけ背丈が変わろうとも

変わらない何かがありますように

くだらない面影に励まされ

今も歌う今も歌う今も歌う

ここから菅田さんのパートになりますが、歌詞は1コーラス目の米津さんのパートと同じです。

単に順番でそうなっているのかもしれませんが、「離れていても気持ちが通じ合っている」ということが表現されているのかもしれません。

 

Cメロ2

朝日が昇る前の欠けた月を

君もどこかで見ているかな

何もないと笑える朝日がきて

始まりは青い色

最後は米津さんの”灰色”のパートで、前半部分は先ほどのCメロと同じです。

“何もないと笑える明日がきて 始まりは青い色”という表現ですが、ちょっとイメージが掴みづらいかもしれません。

“何もない”というのは「何の心配も悩み事がない」ということで、状況が好転した前向きな未来をイメージできているんでしょう。

“青い色”というのは、夜が明けた朝であったり、幼少期の友人のイメージであったり、こちらもポジティブな印象の言葉です。

実際に会ってはいないけれど、楽しかった友人との記憶を思い返すことで少し前向きになれた、という状況が表現されています。

そして、また明日へ向かっていくんでしょう。

まとめ

6分弱ほどの曲で、曲中で決してドラマチックな展開があるわけではないんですが、この曲を聴くと一本の映画を見たような感動を覚えます。

二人の歌やMVでの素晴らしい表現力がリスナーに映画のような映像やストーリーを想像させるんでしょう。

歌詞もそれほどポジティブな言葉があるわけではないですが、なんとなく前向きになれるような不思議な力があります。

米津さんの楽曲の中でも最も感動的な楽曲の一つだと思います。

ちなみに米津玄師さんのおすすめ曲を「米津玄師のおすすめ曲ランキングベスト10」にまとめているので、そちらも合わせてご覧ください。