邦楽

米津玄師のWOODEN DOLLの歌詞やタイトルの意味考察

2014年にリリースされた米津玄師のメジャー1stアルバムに収録されている「WOODEN DOLL」。

軽快でキャッチーなサウンドながら米津玄師の強い想いが込められた一曲です。

今回は「WOODEN DOLL」の歌詞やタイトルの意味を考察してみました。

 

米津玄師のWOODEN DOLLとは

  • 発売日:2014年4月23日
  • 作詞・作曲・編曲:米津玄師

 

「WOODEN DOLL」は2014年にリリースされたメジャー1stアルバム「YANKEE」の3曲目に収録。

アルバムの中でも特に印象的な曲で、そのキャッチーさからもファンに人気のある曲でMVも制作されています。

MVはアルバムのリリースと同じく2014年4月23日にYouTubeで公開されて、2019年2月現在1200万回再生を超えています。

シングルとしてリリースされているわけではありませんが、真っ先にシングルカットされそうなキャッチーさです。

 

軽快で疾走感のあるバンドサウンドが印象的ですが、米津さんが影響を受けたアーティストとしてよく名前が上がるBUMP OF CHICKENやRADWIMPSを彷彿とさせます。

このアルバムの中でもそうですし、これまでの米津作品の中ではかなり明るい曲調ですが、そこはかとなくメランコリックな雰囲気が漂っているのが”らしいな”と感じます。

 

また、ハネた感じでリズミカルなビートも特徴的ですが、この曲は6/8拍子になっていて、至るところに緻密で技アリなアレンジがされています。

パッと聴きも単純に心地良いですし、細かい部分に耳を傾けても楽しい曲です。

WOODEN DOLL全体のテーマ

この曲に限りませんが、アルバム「YANKEE」を通して“呪い”が一つの重要なキーワードになっています。

“呪い”というと心霊的なアレをイメージしてしまいますが、決して藁人形的なソレではありません。

過去のトラウマだったり、育った環境によって生まれた偏屈な考え方であったり、簡単に拭い去ることができない心のネガティブな部分のことを”呪い”としています。

 

それを”呪い”という言葉に置き換えるあたりはさすがといった感じで、それを踏まえると歌詞がとても文学的に見えてきます。

決して”呪い”を解こうと思っているわけではなく、だからといってそのままでもいいとは思わない。

大々的に言うわけではないけど「できれば救いたい」という想いが言葉の裏にあるそんな印象を受けます。

 

実は「WOODEN DOLL」は元々辛辣な言葉が多かったそうですが、それじゃダメだと現在の形に修正されています。

今の形はどちらかというと肯定的な言葉が多いイメージなので、かなり印象は変わったのかもしれません。

 

それを感じさせるのがタイトルの「WOODEN DOLL」です。

直訳すると”木の人形”となりますが、”木偶の棒(でくのぼう)”という意味もあります。

木偶の棒とは決してポジティブな意味の言葉ではないので、タイトルに以前の歌詞のイメージが感じられますね。

 

また、アルバムタイトルの「YANKEE」には”移民”という意味があり、ストーリー仕立てになっている「WOODEN DOOL」のMVにはまさしく移民風の人物たちが登場しています。

そして、モニュメントのような巨大な人形がまさしく”WOODEN DOLL”を表しているんでしょう。

その人形は米津さんがともした火によって焼かれてしまいますが、その周りで登場人物たちが躍る様子はまるで儀式のようです。

人形を燃やすという行為に”呪いを解く”という意味が込められているように感じます。

“呪い”にかけられた人たち(人形)を救いたいという想いを持って、米津さん(僕)がリスナーである”あなた”に語り掛けるような歌になっています。

WOODEN DOLLの歌詞の意味を考察

1コーラス目 Aメロ

さあ、心の向こうへ行こうぜ チンドン屋の行列に絡まって

もう、ありとあらゆる不幸を 吸い込んだような顔してないで

ああ、恐ろしいことばっかだ 楽しむことさえもそう

もう、後になって思い出に ぶん殴られるのが嫌なんだ

この曲でいう”呪い”ですが、人は普段自分のそういう部分をそれほど意識していないでしょう。

わかってはいるけど見て見ないフリをしていたり、見たくないからと心の奥底へ仕舞い込んでしまっていたりします。

“心の向こうへ行こうぜ”というのは、その”呪い”と一旦向き合ってみようという意味だと感じます。

もしくは呪いが解かれたポジティブな未来を”心の向こう”と考えることもできます。

“不幸”によって生まれた”恐ろしい呪い”に向き合うことは決して簡単なことではありませんが、呪いを解くために自分の心に向き合う必要があるのです。

 

1コーラス目 Bメロ

絶望や諦観がどれほどの痛みを生むのか

他の誰かにわからない あなただけが正しさを持っている

“絶望”というのは文字通りですが、”傍観”には色々な意味があるように思います。

傍観は”手を出さずに眺めているだけ”という意味です。

自分の呪いを見て見ないフリをする、人が他人に悪意を向ける行為を見て見ないフリをする、など色々考えられます。

以前、米津さんは”いじめ”を話題にすることがありましたが、そういう問題も込められているように思います。

他人に理解されないという苦しみ、「あなたの呪いの痛み」をちゃんと理解しているよ、と優しく声をかけてくれているようです。

 

1コーラス目 サビ

ちゃんと話してよ 大きな声で さあ目を開いて わっはっはは

自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?

いつだってそうだ 心臓の奥で 誰彼彼も見下しては

見下される恐ろしさに 苛まれて動けずに

優しく声をかけてくれたうえで、「あなたの呪い・心の痛みがどういうものなのか話してよ」と続きます。

呪いについて話そうとすると思い詰めたような雰囲気になりそうですが、”大きな声で”、”わっはっはは”という言葉がそれを緩和してくれています。

気持ちを楽にして話しやすい雰囲気を作ってくれているような言葉です。

そして、”あなたを愛してる僕のことも嫌いなの?”と「僕には心を開いていいんだよ」と声をかけてくれています。

“心臓の奥で~苛(さいな)まれて動けずに”の部分は”あなた”の心の中にあるものです。

「僕はあなたの心の中にある呪いを理解しているよ」そう言っているようです。

 

2コーラス目 Aメロ

もう、黙り込んだ方がお得だ 否定されるくらいなら

その内に気づくんだ 何も言えない自分に

“否定されるくらいならいっそのこと黙った方が楽だ”、そう思ってしまうことって誰にでもあるかもしれません。

ただ、それを続けていくうちにいつしか何も言えなく(言わなく)なってしまって心を閉ざしてしまうことにもなります。

そのままでは呪いを解くことはできません。

 

2コーラス目 Bメロ

愛情や友情はあなたがいくら疑えど

一方的に与えられて あなたが決められるものじゃないや

“愛情や友情”は他人から自分に向けられるものです。

心を閉ざしてしまったあなたは他人からの好意的な気持ちですら素直に受け止めることができなくなってしまっています。

その気持ちが本当なのかどうか疑ってしまうからです。

ですが、その真意は「あなたが勝手に決めるべきでなく、素直に受け取るべきじゃなんじゃない?」と言ってくれているようです。

 

2コーラス目 サビ

ちゃんと笑ってよ カウチにかけて お腹抱えて わっはっはは

そんな寂しいこと言わないでよ さも知ったげにも俯いてさ

真っ赤っかな嘘 撒き散らしては 嘘に嘘つき塗り重ね

どうにもならず追い込まれて 傷つく前に逃げ出して

“カウチ”というのは”カウチソファー”のことで、「ソファーにでも座ってリラックスしてよ」という意味でしょう。

1コーラス目のサビと同じようなイメージで、あなたと打ち解けられるようリラックスした雰囲気を作ってくれています。

そして、”嘘に嘘つき塗り重ね”、”傷つく前に逃げ出してしまう”あなたの心の呪いを汲み取ってくれているようです。

「わかってくれてるんだ」と思えるのは嬉しいことです。

「そう、そうなんだよ!」と心を開いて話したくなってしまいますよね。

 

Cメロ

あなたが思うほどあなたは悪くない

誰かのせいってこともきっとある

痛みを呪うのをやめろとは言わないよ

それはもうあなたの一部だろ

でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど

誰かがくれたもの数えたことある?

忘れてしまったなら 無理にでも思い出して

じゃないと僕は悲しいや

ここではあなたに向けての僕の言葉が綴られていますが、ここでの言葉の使い方が絶妙です。

「あなたが悪いところもあると思うけど、それはあなたが思うほどではないよ」

「誰かにせいにしちゃいけないかもしれないけど、でも誰かのせいでもあるんだよ」

否定と肯定が入り混じったような言い回しになっていますが、否定もしつつ肯定もしてくれるっていうのはちゃんと理解してくれているからこそでしょう。

米津さん自身が経験したことがあるからこその言葉なんだと思います。

「呪いはもうあなたの一部だからやめろとは言わない」

これも否定と肯定が混じったような言葉ですが、確かに心に深く染みついているものはそう簡単に消えることはありません。

ただ、だからといってそのままにしておくのもよくありません。

先ほどの”愛情や友情”に近いですが、「失くしたものだけじゃなく誰かがくれたものに目を向けて」と言っています。

失くしたものはもう戻らないかもしれないけど、誰かがくれたもので空いた隙間を埋めることだってできます。

「やめろとは言わないよ」という押しつけがましくない言葉も優しさを感じます。

 

3コーラス目 サビ

ちゃんと話してよ 大きな声で さあ目を開いて わっはっはは

自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?

いつだってそうだ 心臓の奥で 誰彼彼も見下しては

見下される恐ろしさに苛まれて動けずに

どこにもないと泣く前にさ

目の前の僕をちゃんと見つめてよ

1コーラス目のサビに最後の1フレーズが付け加えられた形。

「どこにもないと泣く前に目の前の僕をちゃんと見つめてよ」

Cメロから続くような形ですが、「僕はあなたの味方だよ」と言ってくれています。

否定と肯定、プラスとマイナス、「どちらかだけに偏るんじゃなくて、うまくバランスを取っていけたらいいね」と。

とは言え孤独なうちは肯定やプラスは生まれないものです。

理解してくれる味方が現れることで初めて肯定やプラスが生まれます。

僕である米津さんはその「味方でありたい」と言っています。

まさしく「呪いが解けるとは思わないけど、そういう人を救いたい」という米津さんの強い想いが込められている歌ですね。

まとめ

パッと見でなんとなく意味がわかったように思っていましたが、改めてじっくり歌詞を読んでみてとても強い想いが込められた歌詞だと気づきました。

ありありと綴られるその”呪い”は自身も経験しているからこそ書けるものですし、だからこそ説得力を感じます。

自身の想いを叙情的に綴りながらも文学的に魅せるというその能力には唸らされるばかりです。

ちなみに米津玄師さんのおすすめ曲を「米津玄師のおすすめ曲ランキングベスト10」にまとめているので、そちらもご覧になってください。